米津玄師が説く

永遠に分け与えても、少しも減らない。

聖書に出てくる「イエスが分け与えたパン」とは何か?

 

それはこの世で言う「倫理」であり、宗教で言う「教え」である。

つまり「人はパンのみに生きるにあらず」とは、このことである。

 

ただ「本能」のままに生きるならば、「今日生きていく糧」だけあればいい。

近頃の人々は、「倫理」でも「教え」でもない、「ステータス」を、食い物に

けして分け与えることもなく、「○○スタイル」だけを追いかけている。

 

「教育」とは、ひたすら「入れる」ことであった。

だが今の「教え」であり、「導き」は、もはや、囲碁で言う「寄せ」である。

「選択」という「幻」を見る。

「終末」と「週末」は、同音異義語なのだが、ここに何かしらの「意図」を、

感じて頂けたら幸いである。

 

米津玄師