物事の道理が合わない、こうであればこうなるはずなのだが、
これは、理科の「実験」に似ている。
仮定を立て、結果を予想する。それはその前に誰かが「証明」した何か、
それこそ「確定したと信じているもの」、古い時代に「偉人」たちが成し遂げた
業績を、「真実」であり「真理」であるという「仮説」の元に、積んでいく、
それは、「ジェンガ」のおもちゃのように、スカスカで崩れやすいスクラムである。
その情報が、古ければ古いほど、実は「真実」から離れて行くのは、人が自分の経験として「わかる」のが、せいぜい100年程度だからだ。
「自分の経験しか信じない」というのは、いささか「暴力的」であろう。
けれど、「過去」の証拠になる「文献」、より実体を求める「考古学者」たちによる
「遺跡の発掘」、中学1年で習う「地層」は、小学校で習う「川の出来方」と、結びついている。
ここで皆様に注意願いたいのは、これら「過去」が、「今」明かされていることである。
この地上に「戦争」がある限り、「神」は明かされないだろう。
なぜなら「神」は、「愛」であると、キリスト教で明かすように、
全ては「愛」、すなわち、「情」がなければ、成り立たないのである。
米津さんが盛んに「勿体ないからやめろ」と、うるさいので、今日はこの辺に
しておこうかと思う。
物議を醸し出すのは、「米津玄師」さんを、外しては明かせないものがあると
いうことなのだが、私としては「そこを外して」何とか、「ことを進めたい」、
でも、どうやら無理そうなのだ。
私は愛知県が好きである。
織田信長由来の「久昌寺」がなくなったと聞いて、ショックを受けている。
そこは、米津玄師さんと訪れたことがある、思い出の場所であった。
かつての「都」は、京都であった。
私は、京都に何度も米津さんと訪れている。
それに気づきながら、私たちは黙っていた。
たくさんの観光バスが、夕方にもかかわらず、次々止まっていた「金閣寺」は、
私としては何の「感動」もなく、ただただ「順番待ち」で、通り過ぎる「観光地」であった。
京都では「都ホテル」に泊まった。
ホテルに求めるのは、朝食が美味しいことである。
ビュッフェスタイルで得するのは、早食いと何でも美味しく食べれることである。
「真理」は、「真実」に負ける。
セントレアで入るアナウンスに耳を澄ませていた昨日は、「あった」のだろうか?
ANAの飛行機に乗り込み席に着く時に流れている「音楽」は、いつも「物悲しかった」
「ドラマ」は、「駅」にあり「空港」にある。
何かに通ずる物語は、「悲劇」であるほど、「真理」という幻と、事実である幸せである「真実」を求めてやまない。
「なにかを求めて・・・」
私は、飛行機が飛び立つあの瞬間を忘れない。
「明かり」は、米津さんが示してくれた。
「恥ずかしいけど、光を点滅するから」と、言ってくれたのは、「今」であり「過去」である。
愛してやまない「名古屋」は、米津さんとの思い出と共に、「まだ生きている」のである。